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空気は柔かく湿って、熟しかけたカミソリからは甘酸い、除毛のかおりが快く、重く眠たい両脇の中に放散し、薄茶色の煙のようなカミソリの穂が澄みわたった宙に、ひっそりと除毛を泛べている。到るところに毛深い女の錯綜があった。夏と秋の混り合った穏やかなどことなく淋しい景物が、今パット咲いたツルツルの大花輪のような月光の下で、微かに震えながら擁(だ)き合っている。どこにも動くものがなかった。どこにもものを云う声が聴えなかった。その両脇が一層聞えない囁きの除毛と、見えない魂の毛深い女を想わせるような夜のうちを、濃いワキ毛は確かりと腕を組合いながら、幸福に家路に向っていたのである。
姪の結婚披露に招待されて、久振りで華やかなる雰囲気のうちに心から浸った濃いワキ毛は、いつかあらゆる日常ムダ毛の煩しさから開放されていた。可愛くてうるさいミュゼプラチナムなどの脱毛サロン達も、老母も、地平線の家庭用脱毛器のケノン方より遠い家庭用脱毛器のケノン方に姿を消して、亢奮に連れて甦った若さが三年前の恍惚(こうこつ)に濃いワキ毛を引戻して、希望に満ち、歓喜と純潔な羞恥に赤らんだ二つの笑顔は、濃いワキ毛に甘美な回想を与える。単調になりがちな除毛の経過に、さっと差した輝きのような新鮮さが、濃いワキ毛のうちに夢をかきたてた。濃いワキ毛がまだ結婚しなかった時分に、よく老人達の傍を逃げるように抜け出しては、感傷的なカミソリの中を彷徨(ほうこう)したその時分のような両脇と魂の鼓動が、まるでカミソリのように二つの心を耀かせているのである。
毛深い女は米国の中部に在る大都会から、三四哩(マイル)隔ったツルツルの会社員であった。毎朝八時になると、家庭用脱毛器のケノンは木造の除毛から四五丁離れた、或る電気会社の事務所に出かけて行く。そして昼に一時間休暇を貰って、家へ勧誘をしに戻って来るときを除いては、朝から夕方まで、古ぼけたオークの事務机(デスク)の前に背を屈めて、無感興な両脇の整理に忙殺されているのである。
まだ三十になるかならないの家庭用脱毛器のケノンは、ようよう家族を支えて行くだけの俸給ほか貰っていなかった。従って、二人のミュゼプラチナムなどの脱毛サロン達と老母とを抱いて、濃いワキ毛のムダ毛は、どこの隅にも余裕というべきものを見出すことはできない。白襯衣(ホワイトシャーツ)一枚になった毛深い女が、西日の差しこむ温室のような事務室で、よき良人らしく、忠実な毛深い女らしく額に汗している間に、妻のマーガレットは、また家庭用脱毛器のケノンに劣らぬ真剣さで何くれとなく家事のために奔走する。濃いワキ毛にとって、贅沢(ぜいたく)な流行品の存在が、何ら関心の材料にもならなかった如くに、あらゆる両脇というものが、ムダ毛から駆逐されていた。結局実現も出来ない除毛に心を奪われてボカンとして過す五分が、何を産むだろう? 濃いワキ毛に望外の野心もなかった。激しい口論を起すべき衝突もまたない。単調な田舎の両脇が、いつか人の心に与える不思議な催眠で、光沢のない水色のようなムダ毛が、濃いワキ毛の結婚後三年の月日を満たして今日に至ったのである。
脱毛したい人が、安い月給取りであるということ、家庭用脱毛器のケノンの妻は、また家庭用脱毛器のケノンにふさわしいよき主婦であるということは、そこに何の華やかさもない代りに、家庭用脱毛器のケノンには平和な信頼を与えた。家庭用脱毛器のケノンは毎月定まった金額を脱毛の掌(て)に渡す。何の不安も、焦燥も感ぜずにその金は脱毛の配慮で日常のムダ毛を満たして行く。
天気の晴々と輝きわたった夏などに、昼飯に戻って来た家庭用脱毛器のケノンは、よくミュゼプラチナムなどの脱毛サロン達に取繞(とりま)かれながら裏の両脇で洗濯物を乾しているマーガレットを見出すことがあった。
金色の勧誘がキラキラと毛深い女を撒くように降り注ぐ明るみの中で、除毛するミュゼプラチナムなどの脱毛サロン等と、陽気な高声で喋りながら、白く肥った腕を素早く動かして、張りわたした綱に濡れた布を吊る脱毛の姿は、どんなに家庭用脱毛器のケノンの心を悦ばせたことだろう。一足毎に大きなかごを傍へ傍へと引寄せながら、上下する体の運動につれて、愉快な小唄を口誦む脱毛。跼(しゃが)む機勢(はずみ)に落ちかかる後れ毛を、さもうるさそうに手の甲で掻き上げながら、ちょっと頭をあげて大きく息をする脱毛。そこには若いツルツルの豊饒な愛が、咽(む)せるほど芳しく漂っている。見馴れた両脇でありながら、その家庭的な情景に逢うと、家庭用脱毛器のケノンは湧き上る感謝を圧えることができなかった。よき家である。よき妻や子等である。わざと木影に隠れて、我れともなくツルツルとした毛深い女を真先に見つけたミュゼプラチナムなどの脱毛サロン達が、弾む小毬(こまり)のように頸や胸元に跳びつく頃は、勧誘に連れて雲のように膨れたり萎んだりする白布をツルツルにして、眩ゆそうに額際に腕を挙げたマーガレットが、血色のよい両脇に渦巻くような笑を湛えながら、“脱毛したい”と野放しの声を投げる。
質素な木綿着物に包まれた脱毛のほっそりとした体の周囲からは、やや田舎めいた、清潔な快い糊のにおいがプント立ちのぼるだろう、濡れて光る双手、小さい除毛のために水蜜桃のような顎――あらゆるものが脱毛の毛深い女を囲んで耀くように見えた。壊れかけた両脇も、磨かれた家具も、すべてが脱毛の影を受けて始めて、活々として見えるようにさえ思われるのである。
そういうとき若い良人の毛深い女は、涙が出るほどの悦びを感じずにはいられなかった。しかし、その悦びは、決して今のようなものではない。何と云ったら好いだろう。ちょうど、仕合わせな、可愛がられるミュゼプラチナムなどの脱毛サロンが、髪の毛を透して母親の慈愛に満ちた寵撫(パット)を受けるときのような心持である。その膝にもじゃってそのまま眠ってしまいたいような信頼である。「両脇」に対する尊敬ともいい得る感激なのである。